【安保法制】たった一度でも人を殺せば自衛官は一生PTSDで苦しむ事になる
米国トランプ氏が次期大統領候補としてかなり優勢の今、日本の安全保障を大きく見直す必要性が強まっています。当然、安保法制もこれまでの取り決めのままでは支障が出るはずです。
となると、日本はアメリカの為により多くの血を流すか、日本が独自に防衛力を強化する、こういった事が必要になってくるわけです。
そして、今の日本でその役割を担うことになるのが自衛隊です。
日本人が安全な暮らしをする為には当然自衛が必要です。時には他国の協力しなければならない事もあるでしょう。
しかし、日本に住むほとんどの人が戦争未経験者であり、戦争の本当の恐ろしさを理解している日本人はほとんどいません。私を含め。
でも、戦争経験者の今を知ることは出来ます。
戦争経験者は今でも人を殺した感触を忘れられない
第二次世界大戦では数千万人規模の死者が出たと言われ、それは同時にそれだけの人を殺している事を意味します。
自分の手で何人もの人を殺す。
そんなことをすればPTSDになるのは当然です。自分が殺さなくても、周りで人が死んでいく様をみれば同じ事です。
PTSDの表れ方は個人差がありますが、一生PTSDに悩まされ続ける人も多いようです。
ネットで検索すれば、「私の祖父(父)は戦後70年が経った今でもPTSDです」、「祖父は今でも人を殺す悪夢をみるようです」という声は無数に見つかります。
「戦争」という特殊な状況とはいえ、平時の殺人鬼以上に人を殺しているわけですから、一生トラウマが消えないのは当然です。ましてや殺す相手は何の恨みも無い人間なんですよね。警官が犯人を射殺するのとは全く違うんです。
一度でも殺せば人生は台無しになる
安保法制、集団的自衛権の必要性の是非は別として、賛成派の人達はドライ過ぎると思うんですよね。
「アメリカの協力無しでは日本の安全は確保できないから、ある程度の犠牲は仕方が無い」
このような声が多いように感じます。
「ある程度の犠牲は仕方が無い」と言えるのは自分が当事者ではないからなんですよね。自分以外の誰かが犠牲になってくれると思ってるから出る言葉なんです。
考えてみてください。
集団的自衛権で自衛隊がたった一度でも戦場に駆り出され、たった一度でも人を殺せば、そのトラウマは一生付きまとい人生を台無しにする可能性があるんです。
安保法制、集団的自衛権に賛成しアメリカの為に戦うというのはそれだけ重い選択なんです。
安保法制に賛成するなら、もっと自衛官のリスクに着目すべき
安保法制反対派は自衛官へのリスクについてフォーカスし反対する事が多いわけです。勿論それは反対するもっともな理由となります。
では逆に賛成派は自衛官のリスクを考えないのか?
ネット世論を見てると自衛官のリスクを口にしてるのは反対派ばかりで、賛成派が口にすることはまず目にしません。
これっておかしいですよね?
安保法制は国民へのリスクを減らす為に、代わりに自衛隊が血を流すというものなんです。少なくともアメリカの軍事行動に参加する必要性が新たに加わるわけです。
国民の代わりに自衛官が危険に晒されるのですから、賛成派こそ自衛官へのリスクをより深く考えなくてはならないのです。
でも、現実は真逆なので賛成派はドライな人ばかりだと感じてしまうんです。
安保法制は安倍政権が強行採決し、半ば強制的に過酷な役目を自衛隊に押し付けることになってしまったわけです。そして、その選択が自衛官の人生を台無しにしてしまう可能性があるわけです。
安保法制の賛成反対の是非は問いません。
しかし、賛成するからには、せめてもう少しだけでも自衛官のリスクに目を向け議論するべきだと思うんですよね。
自衛官対する扱いが軽い今の状態で、戦地に向かわせることに私は納得できません。