言葉は相手に”どう伝わるか”が全てである
2015/07/20
言葉は「何を言うか」よりも「どう伝わるか」で全てが決まる。
これを説明するのに最も分かりやすい例を紹介しよう。
テロの拒否がイスラム国への宣戦布告となってしまった
先日、安倍首相がイスラム国に対し「テロに屈しない」と宣戦布告とも取れる発言をしたことで世間を騒がせている。人質の安否、そして日本の今後の行方が気になるところだ。
安倍首相がイスラム国を挑発、そして宣戦布告。日本はどうなるのか?
今回のテロの引き金になったのは安倍首相が中東に対して2億ドルの支援を表明したことが原因なのだが、安倍首相自身は「避難民支援であり、非軍事の分野の支援」と言っている。これはほとんどの人・組織にとっては当たり障りのない普通の表現だが、イスラム国にとってはイラクやレバノンに2億ドルの支援がされるということは「間接的に我々を壊滅させる気だ」というように解釈されるのが自然だ。
また「テロに屈しない」という言葉も、日本は直接攻撃を仕掛ける意思が無いとしても、アメリカが「テロに屈しない」と言って戦争を始めた前例があるわけだから、一般的に見ればこの言葉は宣戦布告と認識されてもおかしくない。
このように支援表明が挑発行為として、テロを拒否することが宣戦布告として相手に認識されてしまった。言葉通りの意味で伝わっていればここまでの事態にならなかったかも知れなかったのに、不用意に発言したことで日本全体が危機的状況に陥ることになってしまったわけだ。もはや対岸の火事ではない。
ヘイトスピーチもそれに含まれる
ヘイトスピーチのほとんどは相手を侮辱したり嫌がらせする明確な意図があって行われるが、一部には「ヘイトではない。日本を守るために当然のことを言っているだけだ」という主張をする人もいる。本人はそういうつもりでも世間的にはヘイトスピーチとして認識されるのが現実だ。
セクハラ、パワハラも同じ
セクハラは親睦を深めるためコミュニケーションの一環としてやっているのかも知れないし、パワハラも会社を倒産の危機から守るためにあえて強い口調で言っただけなのかも知れない。しかし、受け取り方次第では卑劣極まりない行為になる。
つまり、言葉に限らずあらゆる行動は「相手にどう伝わるか」を常に意識しながら行う必要がある。