高まる日本でのテロリスク。米銃乱射50人死亡事件でイスラム国が犯行声明
先日アメリカで起きた50人が死亡した銃乱射事件。オバマ大統領は「アメリカの歴史上、最も悲惨な銃撃事件となった」と苦言を呈しています。
アメリカ国籍のオマル・マティーン容疑者(29)はイスラム国(ISIS)の一員であることがイスラム国による犯行声明で明らかになっています。
武力ではテロは防げない事を再確認
私たちは世界最大の軍事力をもってしても、たった一人のテロ行為すら防げない現実を受け入れなければなりません。
今回の事件は一人の犯行だったので50人の犠牲者で済みましたが、もし、10人、100人という組織的なテロが起きたら数百人、数千人の犠牲者が簡単に出てしまうという事です。
しかも、そのテロは予告でもされない限り防ぎようが無いのです。武力が役立つのはテロが起き犠牲者が出た後なのです。今回のような事件であれば武力は必要ですが、「自爆テロ」では犯人は既に死亡しているので武力は意味を成しません。
だから、「どうすればテロ思想を生み出さないように出来るか?」という事を一人一人が考え、根本的な部分の解決を目指していかなければならないのです。
安保法制はテロリストを日本に呼び込む可能性を確実に高める
長らく日本では国際テロに巻き込まれる事はありませんでした。これは世界に誇れる事です。
それに対してアメリカは、2001年の「9.11アメリカ同時多発テロ」、2013年の「ボストンマラソン爆弾テロ事件」、そして今回のテロというように、短い期間で複数回のテロが起きているのです。
安倍首相は安保法制によるアメリカとの同盟強化を大々的にアピールしました。これは、テロリストが日本とアメリカを同一視する引き金でもあるんですよね。
テロリストにとって日本は今まで標的外だったのに、アメリカと同調したことで標的の一つになってしまったのです(実際にイスラム国は日本と安倍首相を名指しで批判しています)。
国家とテロリストの決定的な違い
「中国、北朝鮮の脅威に備えるために安保法制は絶対に必要」という意見がありますが、そういう人がテロのリスクにどう考えているのかあまり耳にしません。
中国、北朝鮮のような国家と、イスラム国のようなテロ組織には決定的な違いがあります。
それは武力衝突の回避が可能か不可能かの違いです。
戦争は回避したいのが国家
中国、北朝鮮のような国家は、考え方にこそ違いはあっても、無暗に戦って命を落とすような事はしたくないわけです。これまでの日中、日露、日韓関係を見ても分かるように、戦わずに済むラインをわきまえて行動しているのは明らかです。
戦争をしてでも主義主張を通すのがテロリスト
それに対してテロリストは、何の予兆も無しに自爆テロをするなどして、まずは人の命を奪う前提で行動します。人を殺し恐怖で支配するのが基本です
テロリストとの交渉は非常に困難であり、交渉以前にも犠牲が出てしまうという事から、「テロリストを生み出さない」事が何よりも重要だという事が分かります。
「命の危機を回避する」だけなら安保法制は不必要
先ほど述べたように、国家は「戦いを望んでいない」わけですから、双方(または片方)が妥協するなり、代替案を提案するなりすれば戦争にはなりません。つまり、日本が好戦的でなければ「命の危機」にはならないという事です。
しかし、一方でテロは常に「命の危機」が付きまといます。いつの時代もテロの可能性はゼロではありませんが、安保法制によってアメリカと同調した現在はその可能性は飛躍的に高まってしまったわけです。
つまり、対中国、対北朝鮮との武力衝突は安保法制が無くても代替手段で回避可能ですし、安保法制が無い方がテロのリスクは低くなるわけですから、「命の危機を回避する」だけなら安保法制はいらないのです。
ただ、日本は国際社会の一員ですから、体面上、「国際協力しています」というアピールをする意味では安保法制は必要かもしれません。また、アメリカと手を組んでおけば外交上日本に有利に働く可能性もあります。
しかし、「国民の命」と「体面や外交」を比較してどちらが重要かと問われれば、命に勝るものは無いので、個人的には安保法制は不要だと思います。
ただ、安倍首相は「安保法制で日本はより安全になる」と豪語して、強行採決したわけですから、それなりの自信があったのでしょう。そこまでしたからには万が一の事態になった時の責任も重いですが。当然、辞職程度では済まないでしょう。