教育勅語を賛美する人に限って教育勅語が欠けている矛盾
2017/03/14
あなたは『教育勅語』という言葉をご存知でしょうか?
私はつい先ほど知ったばかりなのですが、『教育勅語』とは明治天皇が山縣有朋内閣総理大臣と芳川顕正文部大臣に対し、教育に関して与えた勅語(お言葉)だそうです。
色々とネットで情報を調べていると愛国者や右翼が教育勅語を賛美している傾向が強いと感じます。どんな内容なのか引用するとWikipediaにはこうあります。
12の徳目
- 父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
- 兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
- 夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
- 朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
- 恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
- 博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
- 學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
- 以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
- 德器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
- 進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
- 常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう)
- 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機があったなら自発的に国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)
いたって普通というか人として当たり前のことが書いてあるだけです(第12項は時代錯誤だとは思いますが)。右翼も左翼も関係ないですし、国籍も関係ありません。少なくとも先進国では一般的な考えだと思います。一般的な考えであると同時に素晴しい考えであるのも間違いありません。この考えに則って全ての人々が行動すれば争いごととは無縁でしょう。
しかし、残念なのは教育勅語を賛美するのと同時に他国を見下す発言や、ヘイトスピーチまがいの発言が目立つということです。
- なぜ、教育勅語を賛美するのに「自分の言動を慎むこと」が出来ないのか?
- なぜ、教育勅語を賛美するのに「広く全ての人に慈愛の手を差し伸べること」が出来ないのか?
- なぜ、教育勅語を賛美するのに「法律や規則を守り社会の秩序に従うこと」が出来ないのか?
なぜこれが出来ないのか不思議でなりません。
例えば、日本に対して敵対姿勢を見せる国である中国や韓国がありますが、不当に日本が貶められるならば批判すべきでしょう。しかし、現実には日本に害が無いどころか友好的な中国人・韓国人にも矛先が向けられているわけです。中国や韓国の反日思想の人であっても「日本人」と一括りにして攻撃するのはごく一部の人だけです。反韓反中の人にはこの明らかに間違った行動を何とも思わないのでしょうか?
愛国心を持つことは結構なことだと思いますが、盲目で周りも自分自身も見えないなら愛国心ではなくただの洗脳でしかありません。愛国心を掲げ相手を批判するならまずは自分自身に非が無いか良く考えるべきです。