「保育園落ちた日本死ね」問題を政権批判材料にすることは本当に悪いことなのか?
「保育園落ちた日本死ね」という匿名のブログが話題になっていますが、同じような境遇に立たされている人が多い為か共感する人が多いようです。
また、今はそういう境遇に立たされてなくても明日は我が身です。将来子供を持てば誰でも当てはまることなので、国民全員が真剣に考えなくてはならない問題です。
ところが、この件に関するデモの中で、「脱原発」や「安保法制」などを主張する人がいたということで「政権批判に利用している」と、このデモ自体に疑問を感じている人もいる様です。
でも本当にこの待機児童問題を政権批判に結びつけてはいけないのでしょうか?
政権批判が起こる理由を考えることが大切
今回の件でなく安保法制の時も、
「反対派は政権批判がしたいだけ、日本の事を考えていない」
という声がありましたよね。
でも、それって当然の現象だと思うんですよね。
待機児童問題も安保法制も現政権が行っている政策であって、それに対する十分な成果を国民が実感出来ていない、そもそも政策のやり方に不満がある、だから政策そのものの批判にとどまらず、政権批判にまで結びつくわけです。
全然おかしな事ではありません。
政策に問題があれば政権批判が行われるのが当然であり、意義もあります。
政権批判が行われば支持率の低下を避けようと、より良き政策を考えようとするはずですから、政権批判をすることは意味があることなのです。
それを、「政権批判したいだけ」といって批判意見を封じ込めようとすることこそが、問題の改善・解決を阻害することに繋がると私は思います。
政府は真摯に批判を受け止めるべき
以前、安倍首相が自身のFacebookで批判意見をブロックしたことが問題視されていましたが、政治家としてはあるまじき行為なんですよね。
なぜなら、批判意見こそが国を良くする為の恰好の材料だからです。
批判を受け止め、改善していく。
そうすることで国が良くなっていくわけです。
批判を受け止めないという事は自らチャンスを捨てていることと変わりありません。批判から逃げていてはいつになっても国は良くならないのです。
政治家としての自覚があるなら批判を真摯に受け止めるべきです。