ヘイトスピーチと無差別殺人にそれほど差は無い
在特会を初めとした団体やネトウヨはヘイトスピーチを行い、
「表現の自由が保障されている」
「日本人は今まで我慢し続けてきた」
「在日特権で不当な利益を得ている(←事実無根 参考)」
などと言ってヘイトスピーチを正当化していますが、ヘイトスピーチは無差別殺人と大差ないと思うんですよね。
ヘイトスピーチと無差別殺人の共通点
2008年に日本中を震撼させた『秋葉原通り魔事件』をはじめとした無差別殺人の動機でよく耳にするのは『社会への復讐』だとか『生きるのが嫌になった。死刑になりたかった』というものです。実際の攻撃対象は社会や根本的な原因に対してではなく無関係な一般人に対して行われました。つまり、弱者への攻撃を生活の不満のはけ口にしているわけです。
一方でヘイトスピーチも同じです。韓国の日本に対するヘイトスピーチに不満があるなら、そういった活動をしている人に対して批判すれば良いわけです。しかし、現実は日本に友好的な人に攻撃を行っているわけです。ヘイトデモが頻繁に行われる新大久保なんて最も友好的な韓国人が多い街です。実際にヘイトデモが原因で閉店に追い込まれた飲食店を知っています。ただの嫌がらせでしかないですよね。
人を殺すか暴言を吐くかの違いだけで、『弱者への攻撃を生活の不満のはけ口にしている』点はヘイトスピーチも無差別殺人も同じです。今は言葉だけでも過激化すれば暴力や殺人に発展することは歴史が証明しています。
おわりに
ヘイトスピーチをしている人は、もし、自分や家族がヘイトスピーチや無差別殺人の被害にあっても納得いくのでしょうか?
愚行をすればいつかは自分に返ってきます。ヘイトスピーチを繰り返せばますます惨めになるだけです。社会に出ることも難しくなるでしょう。
相手をどうこう言う前に自分自身の行動を改めなければ何も変わりません。