デヴィ夫人が盲導犬は動物虐待だと言うが、だったらペットや家畜はどうなるのか
2015/11/06
先日話題になった盲導犬に対する傷害事件ですが、この事件ついてデヴィ夫人がブログで見解を書いたようで、盲導犬制度は”虐待”ではないかと締めくくっています。これについて自分の見解を書きます。
デヴィ夫人 盲導犬制度の廃止を主張「一種の“虐待”と思う」
デヴィ夫人は障がい者に対する配慮が足りない
デヴィ夫人が主張する「本来のネイチャー通り自由に飛び跳ねることも出来ず、はしゃぎ遊ぶことも出来ず、吠えることも出来ず、ただ黙々と目の不自由な方に仕えるのみ」という内容、これを動物に対する”虐待”だととらえることは間違っていないと思います。
しかし、デヴィ夫人のように発言力のある人が盲導犬を虐待と言ってしまうことは軽率だと思いますね。盲導犬と生活をしている障害者がこの発言を耳にしたらきっと苦しみ悲しむのではないでしょうか?
一応、デヴィ夫人は代替措置として「白いステッキが鳴るように改造する」という提案をしていいますが、そのくらいで盲導犬の代わりがつとまるわけがありません。機械による代替が難しいから高額な費用をかけて盲導犬が育成・利用されているわけです。
盲導犬が虐待ならペットや家畜は?
盲導犬制度を”虐待”として廃止を求めるデヴィ夫人ですが、ペットや家畜についてはどう思っているのか疑問です。
「人間の都合で動物の自由を奪う」という点ではペットも家畜も同じです。
ペットを飼う人が「家族のように愛している」というように、盲導犬と共に生活する人も同じく家族同然と考えているでしょう。むしろ、盲導犬は障がい者にとって体の一部ですから、ペット以上に強い絆で結ばれていると思います。
ペットや盲導犬は幸いにも「人から愛されている」から救いがあると思います。しかし、家畜となると悲惨です。人間によって殺され食されるためだけに生きているわけですから。虐待どころの話ではないわけです。しかし、人間が生きていく為には必要なことです。
家畜と同様に盲導犬も障がい者が人並みに生きていく為には必要なことなのです。盲導犬だけが”虐待”として扱われ利用者が不自由な思いをするのは平等ではないと思います。盲導犬制度を廃止を主張するなら、ペットも家畜も廃止するのが筋ではないでしょうか。