『テロに屈しない』ことが必ずしも正しいとは限らない。
2015/01/30
果たしてテロは減ったのだろうか?
今回のイスラム国日本人人質事件をはじめ、9.11アメリカ同時多発テロ事件、ボストンマラソン爆弾テロ事件など様々なテロが世界では起きている。その都度アメリカは「テロに屈しない」と表明し、テロに対抗してきたわけだ。
しかし、この行為が本当に正しいと言えるのだろうか?
「テロに屈しない」ことが絶対的な正義だと信じている人は多い。
「もし、テロリストの要求を飲めば再び要求は行われ事態は悪化する、だからテロには屈してはいけない」
私自身そう思うこともあるが、全く逆のことを思うこともある。その理由はある事実が物語っている。
アメリカが「テロに屈しない」と表明し、武力行使してきたことで事態は改善したのか?
どうだろうか?
むしろ今は過去最悪の状況ではないだろうか?
アメリカはテロリスト職滅の為に空爆を使うわけだが、空爆はテロリスト以外の無害な人まで大量に巻き込む。「テロに屈しない」と言って殺害される人の大半はテロリスト以外なのである。
無害な人を巻き込めば怒りを生み、新たなテロリストが誕生させることになる。
テロと戦争は根本は同じ
そもそも、テロと我々が過去に行った戦争は実質的には同じだ。違いは国際法上認められているかどうかだけだ。
- 戦争には目的があるようにテロにも目的がある。
- 戦争は無害な人を巻き込むようにテロも無害な人を巻き込む。
- 戦争の正当化は許されないようにテロも正当化は許されない。
ごらんのようにほぼ同義なのである。
我々がテロリストを職滅することが正義だと思っている以上、相手もテロ行為は正義だと思い続けるだろう。
我々日本人はテロリストに対し恐怖心を持っているが、戦時に日本に侵略された国の人々にはそれと同じように映っていたことだろう。
テロと戦争に正義はない
多くの無害な人を巻き込んでいる時点でどちらにも正義はない。巻き込まれた人にとってはどちらの存在も悪なのである。
アメリカに家族や友人を殺されればアメリカを憎みテロリストになるだろうし、テロリストに家族や友人が殺されればテロリストを憎み軍に入り戦うことになるだろう。
互いに殺し合いをしていたら連鎖し続けるだけだ。どこかでこの負の連鎖を断ち切らなければならない。